おびひろ
豚丼発祥の地
 帯広市は、人口17万人の都市です。
 街の中心部には、かつてギネスブックにも掲載された、
 
400mベンチのあるグリーンパークがあり、
 スポーツ施設や彫刻の広場などが集まる
帯広の森があり・・・
 帯広市をちょっと離れると、牧場や畑が広がる
 大自然に囲まれた、ステキな街なのです。

 見所たくさんの帯広。
 どのようにして、今の帯広になったのでしょう!?
 帯広開拓の歴史をちょっとだけ見てみましょう。

 寛文6年(1666年)、
 松前藩が「ビロウ場所」を設け、
 十勝アイヌと交易を始めた。

 これが、十勝開発の始めとされています。

 寛政3年(1791年)には「トカチ場所」と改称。

 明治2年(1869年)には十勝国が創設。
 7郡51村となりました。

 明治16年、
 静岡県大沢村(現在の松崎町大沢)で結成された、
 
晩成社の移民によって本格的な開拓が開始。
 発起人代表の
依田勉三は当時の様子をこう言い残しています。

 『
開墾の始めは豚とひとつ鍋

 何だか聞き覚えがありませんか?ご存知の方も多いのでは?
 そう、帯広と言えばかの有名な
六花亭さんのお菓子の名前!
 「ひとつ鍋」という、鍋形のもなかです。お餅が入っていて美味しいです♪

 閑話休題、

 依田勉三は、
 野火やバッタの大量発生で
 思うように進まない開墾に志気が落ちているところ、
 「豚と鍋一つしか無いけれど、
 開拓とは簡単にできるものではない、
大志を抱いて頑張ろう!」
と、仲間に呼びかけたのですね。
 開拓の厳しさがひしひしと伝わってくる言葉です。

 10年後(明治26年)、
 現在の国道38号線沿いに集落が形成。

 明治28年、
 北海道集冶監十勝分監の開庁とともに、
 受刑者によって大通り(当時は監獄道路と呼ばれた)が整備され、
 市街地誕生の基礎となりました。

 明治30年に河西支庁が開庁。
 昭和7年十勝支庁と改称。
 昭和23年に釧路支庁から足寄、陸別の二村を編入。
 昭和31-32年の町村合併により、
 現在の1市16町3村になりました。
誕生
ぶたどん
 明治の開拓初期から養豚が行われていた帯広。
 牛も鶏も飼っていたようですが、

 「
牛は畑を耕すもの

 「
鶏は卵を生むもの

 「
豚は力を付けるために食べるもの

 と考えられていたそうです。
 だから、豚肉を使った料理が発展していったのですね。


 さてさて、元祖
豚丼はどのようにして誕生したのでしょうか!?

 帯広で豚丼屋と言えば、
 知らない人はいないほど有名な「
ぱんちょう」。
 ぱんちょうの創業者
阿部健太郎さんが豚丼生みの親なのです。
 阿部さんは帯広にある製糖工場で働く友人と一緒に、
 養豚場の豚を見ては
 「豚肉を美味しく食べる方法はないか?」と考えていました。

 甘いものが高級な時代、

 「
うな丼

 をヒントに「豚丼」が誕生しました!

 手軽で美味しい豚丼は、間もなく主婦に受け入れられ、
 家庭に根付いた名物料理となりました。
 帯広の子どもが最初に習う料理は豚丼だとか。
 
にわとり
ぶた
うし